朝食を済ませたら、積雪が酷くならない内に、宿をあとにします。
本日は観光をする予定でしたが、朝からあいにくの雪でして、ご覧のように猪苗代湖も、雪で真っ白です。
かと言っても、せっかく会津まで遥々来たのですから、少しくらい観光を楽しみたいと思い、立ち寄ったのが『野口英世記念館』です。
いきなり入り口には、野口英世の胸像が置かれています。
野口英世といえば、あの千円札の肖像になった人として有名ですよね。
その他にも梅毒の病原体を発見した事でも有名で、黄熱病の研究の最中に、黄熱病にかかってしまいこの世を去ったそうです。
ここ『野口英世記念館』は、野口英世の生家が展示保存されており、金さえ払えば誰でも見学できるようになっています。
ちなみに『野口英世記念館』の入館料は大人800円だそうで、20名以上になりますと、一人当たり700円になるので、もし見学するのでしたら、親戚やご近所さんをお誘いした方が断然お得です。
親戚やご近所付き合いが全くない豚耳には、団体入館は無理ですけど。
こちらが野口英世が、柱部分に落書きを彫った部屋です。
柱に傷を付けてもOKだったということは、野口英世の家は借家ではなく、持ち家だったということですね。
もしかすると野口英世の家庭は、かなりの資産家だったのかも知れません。
この部屋、見てください。
この時代にフローリングとは、時代の最先端ではないでしようか。
さすが世界のヒデヨ・ノグチですね。
これは蚕棚と言って、その名の通り蚕を育てる棚です。
野口英世の母親『シカ』は、農作業の他に、蚕も育てて生計を立てていたようです。
しかも驚くことに、副業として、助産師も営んでいたのです。
この時代に副業ですよ。
しかも副業が助産師だなんて、カッコいいじゃありませんか。
おそらく農業が副業だと、助産師業界からのバッシングが激しいでしょうから、あえて農作業を本業にしているのかも知れませんね。
農業は昔から兼業が認められてきた、数少ない業種ですからね。
豚耳の会社では、未だに副業禁止ですもん。
一説によると野口英世は、ヘビースモーカーだったらしいのですが、実家は『禁煙』だったようですね。
そういえば大人になった彼は、金遣いも粗かったらしいので、アッチコッチに借金をしまくっていたようです。
1899年、全ての助産師に国家資格が必要になった時も、50歳近くの年齢でも息子の事を思い、副業継続のため助産師の国家資格を、手に入れたんだと思います。
そう考えると、家の中にテレビやゲーム機が無いのも、納得できましたね。
つまり実際の偉人は、息子の英世ではなく、母親の『シカ』の方だったのではないでしょうか。
ここはキッチンのようです。
我が家のキッチンよりも、かなり広めですが、収納が少ないように感じます。
しかも時代劇でしか見たことがないような、かまどが設置されています。
昨今の電気代やガス代の高騰を考えると、かまどのような調理機器が、再度見直されれるかもしれませんね。
建物の中とは言えど、さすがに古民家は寒いので、展示室に戻って来ました。
こちらのコーナーには、『野口英世』のキャラクターグッズが、たくさん置かれています。
『野口シカ』グッズが無いのが、少し寂しいですね。
こちらは『野口英世』の伝記漫画です。
むつ利之氏作の漫画【Dr.NOGUCHI】は、豚耳も呼んだ事があります。
いやぁ~、懐かしいですね~。
帰ったらネットでポチってみようかな。
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