なぜ『野口シカ記念館』はないの?【野口英世記念館】訪問日2022年12月8日

名所案内
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朝食を済ませたら、積雪が酷くならない内に、宿をあとにします。

 

本日は観光をする予定でしたが、朝からあいにくの雪でして、ご覧のように猪苗代湖も、雪で真っ白です。

 

 

かと言っても、せっかく会津まで遥々はるばる来たのですから、少しくらい観光を楽しみたいと思い、立ち寄ったのが『野口英世記念館』です。

 

 

いきなり入り口には、野口英世の胸像が置かれています。

野口英世といえば、あの千円札の肖像になった人として有名ですよね。

その他にも梅毒の病原体を発見した事でも有名で、黄熱病の研究の最中さなかに、黄熱病にかかってしまいこの世を去ったそうです。

 

 

ここ『野口英世記念館』は、野口英世の生家が展示保存されており、金さえ払えば誰でも見学できるようになっています。

ちなみに『野口英世記念館』の入館料は大人800円だそうで、20名以上になりますと、一人当たり700円になるので、もし見学するのでしたら、親戚やご近所さんをお誘いした方が断然お得です。

親戚やご近所付き合いが全くない豚耳には、団体入館は無理ですけど。

こちらが野口英世が、柱部分に落書きを彫った部屋です。

柱に傷を付けてもOKだったということは、野口英世の家は借家ではなく、持ち家だったということですね。

もしかすると野口英世の家庭は、かなりの資産家だったのかも知れません。

 

 

この部屋、見てください。

この時代にフローリングとは、時代の最先端ではないでしようか。

さすが世界のヒデヨ・ノグチですね。

 

 

これは蚕棚こだなと言って、その名の通りかいこを育てる棚です。

野口英世の母親『シカ』は、農作業の他に、蚕も育てて生計を立てていたようです。

しかも驚くことに、副業として、助産師も営んでいたのです。

この時代に副業ですよ。

しかも副業が助産師だなんて、カッコいいじゃありませんか。

おそらく農業が副業だと、助産師業界からのバッシングが激しいでしょうから、あえて農作業を本業にしているのかも知れませんね。

農業は昔から兼業が認められてきた、数少ない業種ですからね。

豚耳の会社では、未だに副業禁止ですもん。

 

 

一説によると野口英世は、ヘビースモーカーだったらしいのですが、実家は『禁煙』だったようですね。

そういえば大人になった彼は、金遣いも粗かったらしいので、アッチコッチに借金をしまくっていたようです。

1899年、全ての助産師に国家資格が必要になった時も、50歳近くの年齢でも息子の事を思い、副業継続のため助産師の国家資格を、手に入れたんだと思います。

そう考えると、家の中にテレビやゲーム機が無いのも、納得できましたね。

つまり実際の偉人は、息子の英世ではなく、母親の『シカ』の方だったのではないでしょうか。

 

 

ここはキッチンのようです。

我が家のキッチンよりも、かなり広めですが、収納が少ないように感じます。

しかも時代劇でしか見たことがないような、かまどが設置されています。

昨今の電気代やガス代の高騰を考えると、かまどのような調理機器が、再度見直されれるかもしれませんね。

 

 

建物の中とは言えど、さすがに古民家は寒いので、展示室に戻って来ました。

こちらのコーナーには、『野口英世』のキャラクターグッズが、たくさん置かれています。

『野口シカ』グッズが無いのが、少し寂しいですね。

 

 

こちらは『野口英世』の伝記漫画です。

むつ利之氏作の漫画【Dr.NOGUCHI】は、豚耳も呼んだ事があります。

いやぁ~、懐かしいですね~。

帰ったらネットでポチってみようかな。


 

 

 

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