二荒山への初詣リベンジに敗れ、仕方なしに今泉八坂神社に向かおうとしたワタクシは、道中お寺が軒を連ねている一角をかかりました。
神社とお寺の区別もよくわからないワタクシは、『いっそのこと、神社への初詣はあきらめて、お寺で済ませちまうか』と思いましたが、なぜか人気沸騰中の神社に比べて、お寺のほうはいずれも参拝客の姿が皆無です。
皆無なら参拝には問題なさそうですが、そもそもワタクシの場合、御守りを買うのが目的でしたので、当初の目標通り今泉八坂神社に向かい、お寺参りは次の機会に訪れることにしたのでした。
そんなわけで後日ブログのネタにするため、バチアタリな行為と思いながらも、かつての『寺町』に来てみました。
現在は『宇都宮市仲町』という地名が付いているかつての寺町は、ちょうど宇都宮記念病院北側辺りで、『生福寺』『法華寺』『妙金寺』の3つの寺院があったことから、寺町という名前が付いたそうで、この辺りは昔、古着屋も多かったそうです。
現在は古着屋らしきお店は、ブライダルショップという名の古着の貸衣装屋があるくらいです。
ワタクシは古着というと『ブルセラショップ』を連想してしまいますが、江戸時代にもブルセラショップに似た店もあったのでしょうかね。
そんなわけで行きますよ。1軒目!
今回案内するのは、真言宗智山派生福寺です。
真言宗智山派といえば、大本山に『成田山 新勝寺』や『川崎大師 平間寺』や『高尾山 薬王院』の有名どころが揃っている宗派で有名ですね。
こちらの生福寺、関東八十八か所霊場 第24番札所に選定されています。
住職のお言葉でしょうか。
ちょっと文章が長くて、何言ってるのかわかんないです。
きっと人生について深いことを書かれているのでしょうが、人生を深く考えて生きてないワタクシには、豚の耳に念仏です。
それにしても、なんてカワイイらしい文字なんでしょう。
参道ではお地蔵さまが、まるでメイドのように出迎えてくれてくれてます。
ワタクシ、メイドカフェなるところへは、未だかつて行ったことがないんですけど、噂によるときれいなメイドさんたちが一列に並び『おかえりなさいませ、ご主人様。』と、出迎えてくれるんですよね。
ワタクシ、お地蔵さまが並んでいるのを見て確信しました。
こんな風に出迎えられたら、大抵の男なら間違いなくハマってしまうと。
例にもれずワタクシも誘われるように、参道の奥へと吸い込まれてゆきます。
ふと右側を見ると石碑があります。
『ええっ! 蕪村ってあの蕪村⁉ しかも誕生の地⁉』
ワタクシ蕪村のことは、今の今まで存じていなかったのですが、与謝蕪村は享保元年(1716年)に、今の大阪市都島区毛馬町に生まれたそうで、宇都宮では生まれてはいないそうです。
『嘘つき住職、出て来いヤァっっ!』
もう少しで、怒りのあまり怒鳴ってしまうところでしたが、実は蕪村というのは後から付けた名前で、この句碑にある『古庭に鶯啼きぬ日もすがら』という句から蕪村を名乗ったという伝説が伝わったそうで、この地が『蕪村号誕生の地』ということも納得できたような気がします。
まぁワタクシも豚耳という名前に改名したようなものですから、ある意味通ずるものがあるような気がします。
ちなみに蕪村の前名は『宰鳥』を名乗っていたそうで、最後の句碑は宇都宮二荒山神社にあるそうです。
来年初詣に行ったときは、是非とも確認してみたいと思います。
上の2枚の画像は、山門前に設置された石燈籠です。
この石燈籠は、徳川家第六代将軍 家宣の逝去により、豊洲国城主 従五位下内膳正源姓中川氏久恵により、現在の東京都港区にある増上寺に奉献されたもののようです。
なぜ増上寺にあった石燈籠が、こんな縁もゆかりもない田舎の寺にあるのでしょうか、ワタクシ気になると夜、眠れなくなってしまうんです。
その分、仕事中の昼間に居眠りしてしまうんですが・・・。
寝るなら夜も寝たいですよね。
そんなわけでワタクシの調べてみました。
増上寺は第2次世界大戦で徳川家霊廟・五重の塔などが戦災に遭ったそうで、霊屋などの貴重な文化財は消失してしまったため、あの西武グループであるプリンスホテルが土地を買収し、跡地に東京プリンスホテルなどを建設してしまったそうです。
霊廟を取り囲むように立ち並んでいた石燈籠は、一説によると約1,000基といわれており、処分するにしても簡単に壊すわけにもいかないので、とりあえず埼玉県所沢の空き地に放置していたそうですが、今度は西武球場を建設するのに石燈籠が邪魔になったため、東日本各地の寺院に押し付け寄贈したそうです、
こちらの石燈籠は徳川家第七代将軍 家継を祀るため、従五位下松平太蔵少輔源勝似によって奉献されたものです。
実はこちらの生福寺には、全部で四基の石燈籠が押し付け寄進されたのですが、ワタクシこの時はまだ、歴史的価値のあるものだとは知らなくて、四基目を見つけていませんでした。
だってねぇ、西武鉄道が歴史に関与しているわけないと思うじゃないですか。
どーせ『西武鉄道の売名行為だろ?』と思い込んでいたのでました。
まぁ、正福寺の見どころは石燈籠だけではないので、気にしないで先へ進みましょう。
続いての見どころは、『仏足石』です。
大きな石の上部に、大きな足跡が彫られてありますが、この足跡、お釈迦様の足跡だということです。
それにしても、この大きさの足で偏平足、お釈迦様もこの足のせいで苦労したのかもしれません。
なんせ扁平足は、土踏まずがなくなることで足の裏のアーチ状の筋肉が弱ってしまい、立っているだけで疲れやすくなり、さらに筋力低下を招き、最悪の場合歩行も困難になるそうです。
お釈迦様もこの足の大きさですから、もしかしたら私と同じように、休みの日は家でゴロゴロしていたのかもしれませんね。
ワタクシも筋力が低下する前に、少しは歩くように努力してみますか。
こちらの銅像は『中興祖興教大師尊像』といい、覚鑁(生前の名)は真言宗において、空海を除いて唯一の仏教哲学『密厳浄土』思想を打ち立てた僧として高く評価されており、真言宗智山派のみならず、真言宗全体の存続に尽くされたそうです。
とまあ、こんな感じでいろいろと調べてみたのですが、仏教の話は分かりづらい事が多いので、ワタクシも書いてて全く何を言ってるのかわかりません。
なのでこれからは難しい話は控えさせていただきます。
こちらは大師堂と呼ばれる建物で、真言宗では空海を祀ってるそうです。
他の宗派でも大師堂はありますが、宗派により祀っている人物は違うみたいですね。
仏教なんてどれも一緒と思っていたワタクシには、宗派の違いなんてわかりません。
というか、ヒンドゥー教とバラモン教の違いさえも、さっぱり分からないです。
オ〇ムとア〇フだってワタクシからすれば、全く一緒です。
話が脱線しそうになりましたが、けっして宗教批判をする気は全くありませんので、どうかポアだけはしないでください。
白いコンクリート製の近代的な本堂ですね。
まるで海外の寺院に訪れたような錯覚を覚えます。
真言宗の開祖、空海の銅像です。
無知のワタクシでも、空海と弘法大師が同一人物なのは知っていましたが、弘法大師の名は亡くなってからの名前だったんですね。
歴史が苦手だった人のために、名前は一つだけにしてほしいものですね。
そういえば聖徳太子の名前が消えて厩戸王に代わるというニュースを聞いたことがあったのですが、どうやら元の聖徳太子の名が残ったようで一安心しました。
ですが、そもそも聖徳太子の名も、彼の死後につけられた名前なので、もしタイムスリップをして彼に会うことが出来たとして、間違っても『あなたは聖徳太子ですか?』と聞かないでください。
『知らねぇよ、そんなヤツ!』と言われるのが関の山です。
空海の像の隣に、何か説明文の書かれた立派な木があります。
気になるので近寄ってみることにしましょう。
小さくて読みづらいので、簡単にワタクシが説明します。
昭和25年5月17日に、正福寺で『更生保護事業振興懇談会』が行われたそうです。
そもそも更生保護事業とは、犯罪や非行を犯してしまった人を、刑務所や少年院からの出所後に更生させるための施設に入所させ、更生させるための事業だそうです。
その『更生保護事業振興懇談会』に出席した『高松宮殿下』が記念に植樹なされたのが、この柘榴(ざくろ)の木だそうです。
柘榴の木には、こんな言い伝えがあります。
それは・・・ 昔、鬼子母神という子だくさんの神様がいまして、鬼子母神は自分の大切な子供を育てるために、人間の子供を食べて暮らしていたそうです。
それを見たお釈迦様が『腹が減ったらこれを食え』と、ザクロの実を手渡したのです。
ザクロの実ですよ。
ワタクシが鬼子母神なら釈迦の野郎に、『牛の一頭でも連れてこいっ!』と言って釈迦の頭をザクロのように割ってやるところですが、そこは神の端くれ、お釈迦様の条件を飲んだ鬼子母神は、その後改心し仏教の教えを守って、安産と子宝の神様の地位を手に入れたのでした。
人間を食い散らかして地位と名誉が手に入るなんて、神の世界も随分ヌルい世界ですよね。
ひょっとすると、この柘榴の木は、悪人を更生させるという意味で、あえて『更生保護事業振興懇談会』の記念に選ばれたのかもしれませんね。
『なんか背の高い塔があるな』と思ったら、背の低いほうが主役でしたね。
こちらの塔『生福寺宝篋印塔』は『法教員陀羅尼経』の趣旨により作られたようですが、後には供養塔や句碑に用いられたようです。
一般的に石製のものが多いとされていますが、こちらの塔は日本でも数少ない青銅製だそうです。
戦争末期の1945年7月の宇都宮大空襲で、『生福寺宝篋印塔』は被災し、笠と相輪を失ったようですが、平成9年に復元し現在の地に安置したそうです。
正直、最初に足を踏み入れた瞬間は、これほどの盛りだくさんなお寺だとは思いませんでしたが、良い意味で裏切られたような気がします。
宇都宮の市街地は、想像以上に神社仏閣が多いので、追々紹介できればと思っています。
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