川越観光も、いよいよ中盤に差し掛かってまいりました。
このペースで記事を書いていきますと、川越観光シリーズが完結するのは、いつのことになるのか皆目見当がつきません。
この後に高尾山観光編も控えているのですが、今年の夏までに完結を目標に、頑張ってみる所存でございます。
そんなわけで、蔵造りの町並みや大正浪漫夢通りから少し離れまして、南東の方角に自転車を漕ぐ事10分、到着したのは関東の三大師のうちのひとつ、川越大師こと喜多院にやってまいりました。
関東三大師とは、我らが栃木県を代表する佐野厄除け大師と、ここ川越大師と、どっかにあるという青柳大師からなる、天台宗の寺院であり、CMで有名な川崎大師など真言宗の寺院は関東三大厄除け大師と呼ぶそうです。
このような寺院を訪れるには通常、上の写真にあるような山門からお参りするのがセオリーですが、今回はシェアサイクルを利用していたという事もあり、専用の駐輪場から近い『どろぼうばし』から参拝しました。
こちらの橋、どろぼうばしと物騒な名前が付いていますが、名前の由来はその昔、ひとりの盗賊が町奉行から逃れる為、この場所にあった丸木橋を渡り、寺院に逃げ込んだのちに改心して、一生真面目に過ごしたという逸話が残っており、それからと言うもの、この丸木橋はどろぼうばしと呼ばれるようになったそうです。
この橋にとっては全く迷惑な話ですよね。
この橋が盗みを働いたわけではなく、そもそも伝説に登場したのは丸木橋であって、写真のようなコンクリート製の橋ではありません。
どろぼうばしは名誉棄損で訴えてもいいのではないでしょうか。
話が逸れてしまいましたので、喜多院の見どころを簡単に説明したいと思います。
こちらに見えますのが『慈恵堂』です。
こちらは団子屋さんです。
え・・・と、次は・・・。
・・・すいません、真面目に紹介します。💧
こちらの慈恵堂、埼玉県の指定有形文化財に指定されておりまして、喜多院の本堂になっており、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源を祀ってある大師堂だそうです。
なお寛永15年の川越大火での焼失後、翌年(1639年)の10月には再建されたそうで、近代初期の天台宗本堂の遺構として大変貴重な建物らしいです。
こちらは多宝塔と呼ばれる建物で、寛永16年に喜多院の再建に伴い、山門と日枝神社の間にある古墳の上に建立されましたが、ハレー彗星が訪れたのと同じ年の明治43年に移設され、さらに昭和48年に解体修理を行い復元されたそうで、建物が新しい割には、これまた県の指定有形文化財になっております。
これなら昭和44年生まれの私豚耳も、指定有形文化財になってもおかしくはないですね。
栃木県生まれは対象外なのかもしれませんが・・・。
受付の写真を撮るのを忘れてしまいましたが、拝観受付をする場所が無人で、実際には売店で支払いをするのがデフォのようです。
しかも売店の店員からは何の説明も無かったので、徳川家光公誕生の間や春日局化粧の間も合わせて拝観できること知らなかったので、こちらの五百羅漢の見学のみで拝観料400円の元を取りたいと思います。
ま、それは別にいいんですけどね。
みなさんは私のような失敗をする前に、ちゃんと店員さんに確認することをオススメします。
五百羅漢とは、お釈迦様の弟子たちだそうで、お釈迦様が没した後、第1回と第4回の仏典編集会議に参加した選ばれた弟子だと言われております。
『じゃあ第2回と第3回に出席した弟子たちはどうなったんだよ』と言われそうですが、きっと運営側の手違いで、名簿を紛失してしまったのでしょう。
今の時代なら個人情報保護の観点から、大問題となっていたでしょう。
五百羅漢像は笑っていたり怒っていたり泣いていたりと、表情が豊かなだけではなく、十二支の動物を連れていたり、メガネをかけていたりと、見ていて飽きないです。
なかでもこの羅漢像、手にはハンマーを持ち、いきなり頭を殴られそうでなんだか怖いです。
そういえば、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っていまして、もし私が夜中に忍び込んで、頭を触ってみて温かいのがこいつだったら考えると、とても憂鬱な気分になります。
先ほど写真で紹介した厄除け団子屋さんの看板商品『厄除け団子』です。
鐘つき通りで食べた「川越藩のお蔵米だんご』と比べて、こちらの方が色が濃いですね。
ええ、もちろん味は忘れてしまいましたが、これで厄除けが出来るのなら、ずいぶんと安いもんですね。
ホントに厄除け効果があるのでしたらね。
私はこの後、2度ほど転職をしてしまいましたが・・・。
価格:1,900円 |
住所 | 〒350-0036 埼玉県川越市小仙波町1-20-1 |
拝観時間 | 季節・曜日による |
駐車場 | 近くに有料駐車場あり |
休日 | 要問合せ |
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