栃木県道3号をサイクリング中、変わった郵便局を見つけたので、紹介したいと思います。
その名も『かっせんば』郵便局です。
何と物騒な名前の郵便局なのでしょう。
何か怨念めいた事件があったのではないかと思って、ワタクシ調べてみました。
そしたらね、わかったんですよ、歴史上の事件が…。
この辺りの地域は、今から500年前、宇都宮城主・忠綱と皆川城主・宗成が、戦をしたことが地名の由来だそうです。
今ではのんびりとした住宅地が続きますが、この土地に多くの血が染み込んでいることを考えたら、怨念みたいなものが渦巻いているのかもしれません。
そんな事は,どうでもいいんです。
ワタクシが気になったのは、この金色のポストです。
白いポストなら、犬吠埼灯台で見たことはあるのですが、金色のポストというと、最近では東京五輪で、金メダルを取った選手のゆかりの地に、金色のポストが設置されたのは、記憶に新しいですね。
ではこの合戦場地区には、どんなゆかりの選手がいるのでしょうか。
すぐ横に『金のポスト』の由来が書かれていました。
こちらの郵便局は、明治5年7月1日に、栃木県では一番早い時期に、この例幣使街道の合戦場宿に開局したそうです。
栃木県の第一号と言い切らないとこが、栃木市民の奥ゆかしさが滲み出ていますね。
例幣使街道とは、徳川家康没後、日光東照宮の例大祭に、金幣を奉納するために通った街道だそうです。
つまり例幣使とは、『毎年恒例に金幣を奉納する使い』という意味だそうです。
決して『霊兵士街道』ではないそうです。
その金幣に因んで、局長が倉庫に眠っていた郵便ポストに色を塗り、合戦場郵便局開局142周年記念事業という中途半端な記念に作成したそうです。
余談ですが、鹿沼市から日光市にかけての例幣使街道では、昔から『首無しライダー』が出現するとの噂が後を絶ちませんが、真偽の程はどうなんでしょうね。
ちなみに、上の画像が『御幣』で、白い紙が金色に塗られたものが『金幣』だそうです。
合戦場は、昔の宿場町だったそうです。
『日光例幣使街道』14番目の宿場だそうで、しかも『令和(R)・平成(H)・昭和(S)
』で『例(R)・幣(H)・使(S)』ということで、かなり強く例幣使街道と合戦場をアピールしております。
ちなみに郵便局の向かいには、日立製作所の創業者・小平浪平の生家があります。
こちらは事前の予約で、見学ができるそうなので、見学希望の方は2週間前までに、栃木市役所までに電話か窓口まで直接申し込めばいいそうです。
ワタクシの場合、2週間先の予定なんて立てられないので、一生行くことはないと思います。
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