【木のふるさと工芸館】で、石橋町の屋台を見学した後、【まちの駅 新・鹿沼宿】を横目に見つつ、今度は北へ歩いて行きます。
【まちの駅 新・鹿沼宿】のすぐ北側に、広場と駐車場を兼ね揃えた施設が見えてきました。
蔵のような建物に、先ほど見て来た屋台が描かれています。
ちょっと気になりますよね。
さっきの募金箱の件もありますので、注意を払いながら覗いてみましょう。
どうやらココは、無人の屋台展示施設だそうで、無料で見学できるようです。
これなら仮に募金箱が置いてあっても、シカトこいて寄付しないで済みそうです。
ちなみに中の照明は、ボタンを押してから20分後に消灯するそうなので、暗闇の中に取り残されないように、急いで見学しましょう。
硝子で反射して見づらいですが、こちらの屋台は、先ほど見た【石橋町の屋台】と違って、白木造りの地味な屋台ですね。
色が塗られていない分、彫刻の重厚さが際立っていて、迫力がありますね。
こちら【仲町屋台】は、天保7年(1836年)に製作されたそうです。
脇障子には牡丹と孔雀の彫刻が施されて、見る者を魅了させます。
屋台製作に当たり、多くの人々が関与したことが書いてあり、案内文によると製作には、彫師・大工・塗師・金物師などの職人の他に、材料運搬などの労力奉仕を行った若衆連、制作資金の調達に奔走した中老、それを支えたおかみさんなどが制作に関わったと書かれていますが、そんなこと言いだしたらキリがありませんよね。
ワタクシだって【石橋町屋台】の保存に関わった内の一人なのですし、そんなワタクシを支えたカミさんも、屋台の保存に充分貢献したことになってしまいます。
それなので今日からは、『石橋町の屋台のスポンサーは豚耳家。』という事を、広く世間にアピールしたいと思います。
こちらは『付け祭り』に関しての説明が書いてありますが、ちょっとメンドくさいので省きますが、屋台に関しての最初の記録は18世紀の80年代まで遡るそうです。
流石に18世紀には生まれていなかったので多くを語れませんが、20世紀の80年代と言えば、アイドル全盛期の時代でしたよね。
現代のアイドルと違い、ソロ活動のアイドルが多かったのが特徴でした。
ワタクシもアイドルの名前が入ったステッカーを、自転車に貼って通学していたのを想い出します。
豚耳が中学生の頃は『シャブピー』こと『酒井〇子』のステッカーが大人気でした。
話を18世紀の80年代に戻します。
当時の屋台は『踊り屋台』と呼ばれる移動式の舞台で、当時のアイドルたちが踊りや狂言を披露していたそうです。
その後、文政・天保の改革で、『テメーら!祭りで浮かれてんじゃねーよっ!』という事で、在郷芝居が禁止されたため、質素な屋台から彫刻をふんだんに施した屋台に代わっていったそうです。
なるほど、この屋台が何故、彫刻が凄いのかが謎は解けましたね。
ちなみにこの豪華絢爛な彫刻は、日光山造営の彫師たちが、仕事がない冬場に小遣い稼ぎのために屋台に彫刻を施したそうです。
確かにこの彫刻、東照宮の彫刻のような、躍動感と迫力があるような気がしますね。
あくまでも個人的な感想ですが。
仲町屋台公園は駐車場完備ですので、鹿沼にいらした際には安心して立ち寄ってください。
あっ、駐車場は20分の制限はないので、安心してくださいね。
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